●すれ違い1:予定を「知らない」まま期待してしまう
別々に住んでいるとき、相手の予定をどこまで知っていたでしょうか。毎週会っているカップルでも、会わない日に相手が何時に起きて、誰とどこで過ごし、何時に帰ってくるかまでは、案外知らないものです。
一緒に住むと、そうはいきません。相手が出かけている間、自分は家にいます。夕飯を二人分つくろうかと考えれば、食べるのか食べないのかが気になります。自分が休みの日は、なんとなく二人で過ごすつもりになっている。そこに相手が何も言わずに予定を入れていると、がっかりし、ときには腹が立ちます。
ここで起きているのは、話し合っていないのに相手に期待し、その期待がずれて傷つくという流れです。しかも家にいる側には「待つ」という心理的な負担がかかります。負担が重なると「なんでもっと早く言ってくれないの?」と相手を責めたくなります。
言われた側はどうでしょうか。心理学では、人は自分の自由が制限されたと感じると、それを取り戻そうとする反発が起きると考えられており、これを「心理的リアクタンス」と呼びます[注2]。責められた側は束縛されているように感じ、かえって距離をとりたくなるのです。夫婦研究でも、一方が求めたり責めたりするほど他方が引いていき、それを見てさらに強く求める、という悪循環がよく知られています[注3]。
一緒に住み始めたばかりのころは、心の距離がとりにくく窮屈になり、物理的な距離を離したくなる。この悪循環が続いた先に、別れという選択があるのだと考えられます。
●すれ違い2:「名もなき家事」が不公平感を生む
家事というと、掃除、洗濯、料理を思い浮かべるかもしれません。けれど実際の暮らしには、名前のついていない家事がたくさんあります。家じゅうのゴミを集めて袋にまとめる、冷蔵庫の賞味期限を確認する、トイレットペーパーの残りに気づいて買い足す。一つひとつはほんの小さなことです。
一人暮らしのときは、当たり前に自分でやっていたはずです。それなのに二人になると、「なんで私が?」「いつも私ばかり」「仕事がこんなに忙しいのだから、相手がやってくれてもいいのに」と感じてしまいます。
これには心理学的な理由があります。夫婦それぞれに、家事などの日常の役割を自分と相手のどちらが多く担っているかを尋ねた研究では、多くの人が、相手の見積もりよりも自分の分担を多く見積もっていました[注4]。自分がやったことはよく覚えていても、相手がやったことは目に入りにくいからです。さらに、自分がやらないときは「忙しかったから」と状況のせいにし、相手がやらないときは「気が利かない人だから」と性格のせいにしやすい傾向も指摘されています。これは「行為者―観察者バイアス」と呼ばれる心の癖です[注5]。
加えて、名もなき家事の多くは「気づく」「覚えておく」「段取りを考える」という、目に見えない頭の仕事です。近年の研究でも、こうした見えない負担は本人にもパートナーにも気づかれにくく、一方に偏りやすいうえ、夫婦の衝突のもとになりやすいことが示されています[注6]。やっている本人はずっと疲れているのに、相手にはそれが見えていない。ここに不公平感が生まれます。
●すれ違い3:育った家庭の「当たり前」がぶつかる
タオルは毎回洗うのか、何度か使うのか。休日の朝はゆっくり寝ているものか、早く起きて動くものか。帰省は年に何回が普通か。こうしたことに、正解はありません。けれど多くの人は、自分の育った家庭のやり方を「普通」だと思っています。
家族療法では、どの家庭にも言葉にされていない「家族のルール」があると考えます[注7]。同棲や結婚は、異なるルールで育った二人が同じ家で暮らし始めることです。家族の発達段階を扱う理論では、この時期を「それぞれの実家との関係を見直しながら、二人の新しいやり方をつくっていく段階」と位置づけています[注8]。
厄介なのは、当たり前は本人にとって当たり前すぎて、口にされないことです。だから違いに気づいたとき、「非常識だ」「だらしない」と相手の人柄の問題に見えてしまいます。実際には、どちらが正しいかではなく、育った文化が違うだけということがほとんどです。